profile
1950年12月20日生まれ
青梅市議会議員
趣味:ソフトボール、囲碁、将棋

<挨拶/市議としての考え方・心構え>
私は市議の役職を
・「課題を一緒に考え行動を興す」
・「市民の要望等を行政に伝える」
・「市政のチェック」
と大別して三項目と捉え、支持者の意向を尊重した行動をしています。
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青梅商業協同組合(元理事)
青梅大祭実行委員会(街商・環境担当)
青梅だるま市保存会(街商担当)
青梅懐かしの映画上映委員会(元委員長)
日本会議(全国組織)監事
金刀比羅神社崇敬会役員
将棋連盟顧問
過去の記事

Archive for 10月, 2011

身上№1<10月30日>

今日は日曜日恒例の早朝ソフトは、永山公園を使用する産観祭り準備のため出来ないと考え休み事務所で作業。

友人S氏が新しく石神前駅近くにコーヒーショップができたようだから行ってみようと誘われ同行する。

石神前駅は、最寄駅として利用する人、また 奥多摩路にJRで出かけた方はご存知と思いますが、青梅街道から一寸奥まっているところに駅舎がある。

駅前に行く道は、手前に道幅が狭いので車両通行不可の標識があるほど、直ぐに民家が建っている。

私は、ポスター貼りなど何度か行ったことが有り、おおよそこのあたりに店が無いことは解っていたが行ってみる。青梅街道に面した場所にそのコーヒーショップはあった。

そこのオーナは、退職後の第2の人生を過ごすのに飯能から2年ほど前この地に来たらしい。大きめの敷地に民家風のコーヒーショップ、窓越しの景色も良い店づくり。このような店が地域に溶け込み適度に繁盛すると良いなとS氏とコーヒーを楽しみながら話す。(誤解の無いよう適度は、店の経営面と客としての見方から使う)

私の店にもこのところ新住民と言うか青梅に移り住んできた人が来てよく話をする。その方たちは、何度か青梅を訪れ気に入り移り住んできた方たち、近所を散策、新たな発見や良いところ、悪いところを見聞きしている。

その方たちは、青梅の良さを再発見ているようで、いろいろ聞かれる。日ごろ目にする当たり前のことを含め話すが、私も聞かれて詳しく知らないこともあり、また その方たちにこんなに素晴らしい事があったと教えられる事も多い。

私は、青梅市の観光振興に対する行政の役割を長計市民アンケート観光振興策についてのなか、市民に青梅の良さを知らせる事が不変の観光振興策に通じると考えを伝える。人は、自分で納得しないことを人に紹介できない。市民が地域の良さを知ることで、地域の誇りや絆として伝承され、それを訪れるお客様に紹介する。地域の方の言葉が観光産業振興の神髄、うわべだけの繕いは、継続した発展には繋がらないと考えるからで、行政は、対処療法としての施策と将来を見据えた草の根的な施策の両方をバランスよく施行、当然その事を市民に知らせる義務もある事を踏まえ実施して行かなければならないと考える。

私の保育園児までの身上を、1950年12月20日、今の千ヶ瀬町で生まれる。兄弟は、おおよそ2歳づつ離れ4男1女の末っ子。当時千ヶ瀬は、上分下分に分かれ、私の家は上分の外れにあった。

一番小さいころの記憶は、兄の遠足に母とついて言った記憶、何歳頃でどこに行ったか定かで無い。保育園での重大な出来事や七五三を祝った事位からおおよそ覚えている。

当時保育園の園長先生は、宗建寺住職、現在の住職のお爺さんに当たる。走り回る遊び中、上から飛び降り私が下を駆け抜けた時、飛び降りた園児の顎が私の頭にぶつかり血を流す。また 七五三は、三輪トラックに乗って親戚回りをした。

私の家はどういう訳か、近所の子供たちが集まるたまり場、前に200坪位の庭と畑、その前は山(300坪位の林)近所の2つ上の金ちゃん1つ上の健ちゃんと毎日遊ぶ。

当時景気が良かったんだなと思う出来事をひとつ、遊び仲間の一人が毎日(3日間)親の財布からくすねた1万円札1枚を生垣に隠し、それを持って街(青梅)のおもちゃ屋へ。おもちゃ屋さんでは、幾百円の買い物ではつり銭が無く、仕方なくその前に蕎麦屋に行きお金を崩してから買った。当然3日目にバレすごく叱られた記憶など、重大な出来事だけ鮮明に覚えている。