映画の日<12月1日>
今日は「映画の日」1896年神戸で初めて映画を一般公開から開催中のこの日を記念日に
現在は、青梅宿の一角、旧織協後に映画館「シネマネコ」が営業している。
嘗て、青梅には、大映・キネマ・セントラルの映画館が3館あった。
それを知る方は60才以上に、大映の前身、初音座の現存姿を知る方は僅かに、私は、生前の田邊元市長から当時の様子を度々伺った。
また、私の高校の頃は、既に大映だけが営業、勉強の合間を見つけ「ヤクザ」映画を仲間と一緒によく見に行った思い出も
また、20年ほど前、既に3館とも閉鎖が久しく、青梅宿は、昭和レトロの街よえ「懐かしの映画上映会」を作り10年程続けた。
年10回の上映会だったが会場は、青梅駅舎や銭湯跡など点々としながら旧長崎屋3階に常設場を作り旧市民会館での上映が最後だった。
懐かしの映画ゆえ、フィルムは32mmにしたかったが、映写機の問題から16mmに
フィルムは、公開実施で著作権も絡むことから正規ルートで借用、安くても1本5万円前後、最新物は流行にもよるが20万円を超すなど上映作品選定に影響、また、映写技師、消防法のクリアなど課題も多かった。
会場づくりは、スクリーンを手作りし、客席も簡易雛壇にするなど、防火責任者講習が秋葉原であり朝5時台の電車で3日続けて行ったのが大変だったが今は懐かしい。
予算に関連しての上映作品選びは、常に頭を悩まし、観客からの要望を聴くなどで対応した。
私は、会計、映写技師、会場整理、司会者など、それぞれ役割を決め、その方々が率先して行って頂いたことで運営できた。
また、上映の都度、報告書を作成し市に提出が私の役割だった。
この手法は、先だって行った青梅宿アートfesでも同様の手法で委員長借を務める。
当時の様々なノウハウ、スクリーンの形状や作品選び映写技師など過去の物になってしまった。
しかし、今は、デジタル送信や映写機、音響装置の向上などあるが、技術や機器の進歩も目覚ましく、異なる課題も予想できる。
今日は、映画の日に因み、思い出話を記述した。